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カンボジアのボジ子。

カンボジアで2年の仕事を終えて一時帰国中。シェムリアップの美味しいレストラン、手作りごはん・お菓子、たまに観光・旅行ネタ、ダイエット、コスメなど広く浅~~く。

カンボジアの国境の町”ポイペト”ってどんなとこ?前編

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まずは謝罪から。

すみません、前回の日記で嘘つきました。

 

最初の中華に行く前に、

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しゃけおにぎり食べてました・・・。

 

ポイペトレポート第1弾!

 

私にとってもみなさんにとっても、あまり馴染みの無い地名だと思います。

カンボジアで出来た友達がポイペトでNPOとして活動している話を聞き、

「何がそこまで彼女を動かしているんだろう??」と

出会って以来ずっと不思議に思ってきた私ですが、

今回撮影のために初めてそこを訪れて、改めてスゴイと思いました。

何が、どうスゴかったのかは、おいおい書いていくことにしましょう。

 

てか。。。うわ!きったね! 

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半日バイクに乗って取材に回ったあとの、私の顔を拭いたトイレットペーパー(笑

本当にスゴいんです、土ぼこりが!

日本でバイク乗ってたころ、丸1日走り続けてもこんなことにはならなかったですよ。

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ポイペトから帰る直前に久しぶりの大雨が降ったと思えば、

地面はぬかるんでどろっどろに。

ちょっと歩いただけでクロックスが鉄ゲタのように重く感じるほど泥がつきます。

雨季になるとトンレサップ湖の底に沈む、コンポンプルックという村でも

同じような状態になった覚えがあります・・・。

バイクは道端で一旦止まって手で泥を落とさなければ走ることも出来ず、 

歩行者は吉本の芸人よりキレッキレな動きでつるんとひっくり返っていました。

私たちは車で移動だったので、その横を大笑いしながら通過。(ごめんなさい)

後輪はD1のごとくドリフトをかまし、舗装された道に出るまでは、

時折オッサンのうめき声のような悲鳴をあげました。

 

 

まずカンボジアで起きた内戦について

カンボジア内戦 - Wikipedia

ー1949年フランス領インドシナからの独立~1998年ポルポト死去まで

カンボジア作戦 - Wikipedia

ー1970年のクーデター

クメール・ルージュ - Wikipedia

ー1951年~1999年ごろ

S21 (トゥール・スレン) - Wikipedia

クメール・ルージュが残した内戦の爪痕

 

一部だけ抜き出すのは難しいし、歴史的学説は多々ありますので、

Wiki先生に丸投げさせていただきます。

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(シェムリアップのキリングフィールド。)

 

簡単に、ものすごくおおざっぱに言うと、

 

フランス領から独立した後、ノロドム・シハヌークによりカンボジア王国誕生。

国王が癌治療で他国に出向いている間に、

アメリカに支持されていたロン・ノルが王政廃位。

ロン・ノルは反ベトナム派だったため、ベトナム人を強制送還・大量虐殺。

ノロドム・シハヌークは亡命先の北京でカンプチア民族統一戦線を結成。

ロン・ノルに迫害されたノロドム・シハヌークがクメール・ルージュを支持したため

国王を慕う農民のクメール・ルージュ支持層が増加。

政府の腐敗に対する民衆の反発、冷戦下での中国共産党の支持、

そしてアメリカ軍による空爆で、第2次世界大戦で日本に落とされた総量の3倍もの

爆弾を落とされ、数十万の犠牲者を出した上に農地も破壊されて

輸出国から輸入国に転落。

カンボジア民族統一戦線がプノンペン占拠、クメール共和国崩壊。

民主カンプチア誕生。

 

そうして、民主カンプチアの指揮をとったのが、ポル・ポトです。

ポル・ポト率いるクメール・ルージュは完全な原始共産主義を目指し、

強制移住、強制労働を強いたうえ、一切の私財を没収、貨幣そのものや宗教も廃止、

暴動や反乱を起こす危険性のある知識人階級を収容・虐殺しました。

それは政治家にとどまらず、教師、医者、僧侶、伝統芸能者などにも及びました。

国の発展のためにと海外留学していた人もその対象となったほか、

メガネをかけている人(字が読める)、ラジオを持っている人(言葉がわかる)も

対象となったと聞いたことがありますが、どこまでが正しい情報なのかは不明です。

 

そして最後は、カンボジア民族統一戦線(あれ?!)とベトナム軍により

カンボジア侵攻。民主カンプチアは倒れ、カンボジア人民共和国が成立したのです。

 

「カンボジアの悪夢」ポルポト政権を分かりやすく説明 - Yahoo!知恵袋

こっちのほうが分かり易いです。(じゃあ何で書いたんだっていうのは無しで。)

 

で、ポイペトってどんな町?

ポイペトは、タイとカンボジアの国境のカンボジア側にある町で、

カンボジア側のイミグレを越えれば、徒歩数分で国境を越えます。

タイ側のイミグレを通過すれば、国境のタイ側の町、

アランヤプラテートに到着です。

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内戦の影響で隣国のように発展を遂げられなかったカンボジアは、

多くの生活インフラと物資をタイとベトナムに頼ってきました。

その物流のキーポイントとして発展したのが、このポイペトの町です。

大型のバスやトラックが行き交う危険な国境付近で働くのは、

リヤカーで荷物の運搬を行ってお金を稼ぐ人、それを手伝う子どもたち、

陸路で国境を越える観光客目当ての商売人や物乞いなど。

タイとカンボジアが入り雑じる混沌とした世界の中で、

様々な働く人の姿を見ることができます。

 

内戦時代後のポイペト

最初に書いたように、内戦時代のカンボジアは本当に悲惨なものでした。

戦火を逃れるためカンボジア各地からやってきた人たちが

国境付近に住み始めました。その数は日増しに増え、

アランヤプラテートとポイペトには大規模な難民キャンプができたそうです。

内戦で故郷を追われた人たちを更なる悲劇が襲ったのは、1990年代のこと。

タイの資本家が、まだ法の整っていないカンボジアに目をつけ、

国境付近にカジノを建設すると言い出したのです。

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外貨を獲得したいカンボジア政府はそれに応じました。

カジノやホテルを建設するためには、広大な土地が必要となるため、

そこに暮らす人たちは立ち退きを余儀無くされました。

 

お話を聞かせていただいたカンボジア人の方が言うには、

ある日突然ブルドーザーがやってきて、水や電気などのインフラも整っていない、

地雷の撤去も終わっていない、子どもを通わせる学校も無いような代替地に

追いやられていったのだそうです。

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昼間はネオンの明かりもないし、周りもよく見渡せます。

カジノの敷地内はガランとしていて、人もまばら。

ところが一歩外に出ると、道も市場も屋台も人で溢れていて、

その中で静かに佇む巨大な建物は、ものすごく違和感がありました。

 

ホテルがあり、カジノがあれば、置屋や売春ももちろんあります。

タイからのブローカーに子供を売る親も居るそうです。

そうなると必ず蔓延するのはHIV。

国全体で見ると感染者は年々減少傾向にあるものの、支援の手が入りにくい僻地では

都市部よりも深刻な問題であることには間違いありません。 

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すぐ近くにはテントがたくさん並んでいて、

おそらくタイから持ってきたであろう服や雑貨が売られていました。

奥のほうには、日本のイベント会場でもよくある、空気で膨らます遊具も。

子供たちがボヨンボヨンしながら滑っていました。

 

写真はありませんが、カジノの中にも入ってみました。

手前の売店には、ブランドものの時計や服、

日本のお菓子がたくさん売っているところも。

私は源氏パイやイチゴのお菓子、キャラメルポップコーンなど5つ買い、

700バーツを支払ってホクホク顔でカジノを後にしましたが、

あとで計算してみたら700バーツって2700円ぐらいですよね。

もしかして私、アホなんかなっておもいました。

後悔しながらも美味しく頂きました。やっぱり日本のお菓子は美味しい。

店員のお姉さんは全員タイ人でした。

 

地雷の博物館、カンボジア

内戦時代に埋められた地雷、その数なんと400~600万。

埋設密度は世界一、カンボジアは「地雷の博物館」と言われています。

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これはシェムリアップの博物館に展示されていたクレイモア地雷。

指向性対人地雷で、ワイヤーにひっかかるか、リモコン操作で信管が反応すると、

爆風と共に中から700個の鉄球が飛び出します。

有効加害距離50m、最大加害距離250m。

「目の前で爆発したら、何百発もの鉄砲玉を浴びるようなものです」

と言われて、背筋が凍りついたのを今でも覚えています。

 

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こちらも、展示されている地雷の数々。

展示品の地雷をカンカンカン!!と叩きながら熱心に説明してくださったもんで、

信管は処理済だと分かっていても私は終始冷や汗が止まりませんでした(笑

 

地雷は、残虐性、残存性、無差別性を備えた”悪魔の兵器”。

その中で対人地雷は、一般的に怪我を負わせる為に埋めらました。

ズタズタに切り裂かれた手足を見て精神的に追い詰められる。

一人の足が吹き飛んで負傷すれば、それを救護するために兵力が裂かれる。

その後の治療やリハビリに経済的負担がかかる。

戦力を少なくするためには、死ぬよりも負傷したほうが都合が良いのです。

 

そして、地雷原になった場所には住めなくなり、農耕も出来ません。 

地雷は、信管を抜き取るまで半永久的に、じっとそこで待ち続けます。

対戦車地雷の真下や真上に対人地雷を置いたり、

地雷探知のために除去作業員がプロッター(地雷探知に使う鉄の棒)を

斜めに差し込んだときに反応するよう、

対戦車地雷のまわりに対人地雷を斜めに埋めたりと、

殺傷能力の高い対戦車地雷も工夫されて埋められており、

単純に対人地雷だけに気をつければ良いという事ではありません。

 

ポイペトに残る地雷原

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これは、ポイペト郊外の地雷撤去が終わった場所につけられた看板で、

CMACという政府機関が立てたものです。

地雷を撤去している人の中には、ポルポト時代の兵士も居ます。

アキ・ラー - Wikipedia

シェムリアップにあるアキラ地雷博物館には、

ポイペトで撤去された地雷も多数展示されています。

 

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”ここより先は地雷撤去が終わっていないため、入らないで下さい!” 

(という意味だったはず←クメール語読めません・・・)

広大な土地にぽつんと立てられたこの小さな看板の文字を、

ここに暮らす全ての子どもたちが読んで理解することは出来るのでしょうか。

 

数ヶ月前には、シェムリアップの郊外にある世界遺産のロリュオス遺跡群近くの

公立小学校横の森で、爆発事件がありました。

子どもたちが鉄くずを売ろうと不発弾を触ったところ爆発してしまい、

4人が酷い裂傷で病院に運ばれたそうです。

(ニュースで見た時は亡くなったという情報はありませんでした)

また、牛を2匹繋いだ牛車に子ども二人を乗せて走っていた男性が

対戦車用地雷を踏んで吹き飛び、みんな亡くなってしまったという

痛ましい事故も、私がここに来てからのこと。

 

 地雷撤去が終わる=”100%安全な土地"になったというわけではありません。

雨季の激しい雨で地雷を覆っていた土が流れてしまうため、

地中深くに眠っていて探知機に反応しなかった地雷が

出てくることもあるのだそうです。

「何個撤去したかではなく、国土の何パーセントが安全な土地になったかが重要」と

以前とある方から伺いましたが、こういうニュースを目にするたびに

本当にその通りだなと思います。

ある日本の方とお話していたら、首都プノンペンにも地雷や不発弾が

残っているものだと思っていた、とおっしゃっていました。

「ぜんぜん大丈夫ですよ」とあの時は答えましたが、

「シェムリアップもプノンペンも、”ちゃんと道になっているところ”は安全ですよ」

が回答としては正しかったのかも・・・。すみません。

 

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この荒地の奥に広がっている森は、”あえて”地雷が残されたままになっている場所。

国境線上に位置していて、不法入出国を防ぐためと、

またいつ勃発するか分からないタイとの国境紛争のために

このままにされているんだそうです。

 

まわりには広大なキャッサバ畑が広がる中、誰も手をつけない森。

そのすぐ手前のバラック小屋では、そこに暮らす子どもたちが

ままごとをしながら、見慣れない外国人の私をじっと見ていました。

 

「ポイペト」と「貧困」

このブログで使った写真はすべて、私が自分の手で撮ってきたものです。

インターネットからの拾い物ではありません。

つまり、私がここに書いた地雷やカジノのことは、

「今現在」のポイペトで起きていることなんです。

 

今日もまた、鬱そうとした地雷原の森では、

数え切れない地雷が土の下で誰かが踏むのを待っています。

電気の無い村から数キロ離れたカジノ周辺は

夜になれば賑やかな音楽とネオンの光で溢れ、

お客さんを待つ10代の子どもたちが居ます。

本当に、「今」目の前にあるリアルな問題で、

解決されない限り「これから」もずっと続くことなんだなって

ポイペトにきて初めて実感しました。

 

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だからどこそこの団体に寄付してくださいとか、

今すぐポイペトに行って慈善活動をしてくださいとか、

そういう事を言いたくて書いているわけではありません。

 

ポイペトに行って初めて知ることができた、今までとは違う”カンボジア”。

国境の町特有の問題が作り出した、貧しさ。

観光名所が無くなかなか行く機会の無い場所のことだからこそ、

せっかく自分が行って、見て、聴いて、写真を撮ってきたんだから

このブログを読んでくださっている方にも伝えたいなあという、

それだけの気持ちです。

 

さーて。長くなったので、前編と後編に分けてお送りします。

今日はこのへんで!

 

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